絵の中で

 ―――それが自分だって気付いたら、きっと嬉しいと思う。

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絵の中で



1.   -In her smile-


 どうしようもなく、俺はただ見ていた。イズルードへ向かう定期船の甲板から海と空を。
 自分の可能性に絶望し、騎士を辞めた俺は波立つ音と船の動力の音を聞いていた。
 手すりにもたれかかり、遠くにある陸を見つめていた。

 小さな連絡船のだれも人が居ない小さな甲板で。

 そんな時、

「そこのあなた」

 直ぐ傍で高く透き通った声を掛けられた。掛けられたからには返事をしなければ。そう思い横を 向くと、波風と同じ方向に長く青い髪を棚引かせ、両脇に大きな画材道具を持った女の子が居た。

 俺に何の用だろうか。首だけをその少女の方に向けた。

「なんでしょうか」

 彼女は風で吹き寄った髪を触りながら、俺のその返答を聞いた。

 返事をする俺だったが、あからさまに、自分でも判る位に元気が無い声だったので、彼女は 少しだけ憂いの表情を浮かべ、

「今、お暇でしょうか」
「ええ、まあ」

 やる事も無くプロンテラに帰ろうとしていたんだったな。これからどうしようかという考えも 浮かばずに。そういう訳で俺は今暇なわけで、俺はその子の言葉に頷いた。

「少し絵になってもらいたいんです」

 年端も行かないような少女は、そう宣言して脇に居た俺を少し驚かせ、俺をふと見た後に何時の間 に用意していたんだろう、俺が黄昏ていた直ぐ傍に木製の椅子に俺を座らせ、少女は俺の前にあった もう一つの椅子に座る。

「私、画家を目指しているんですよ」

 あなたの絵を描きます。そう彼女は何故か嬉しそうに言った。本当に絵を描くのが好きなのであ ろう、その表情は楽しげだった。

 椅子に座る動作一つで俺は感じていた。優雅で気品溢れる、そう、今の所で言えば貴族であろう と思う位に美しかった。一体何処の出身なんだろうか。もしかして本当に貴族だったりするのだろ うか。

 そんな彼女は絵を描くと言っていた。俺の絵を。正直言って俺の感情はそんな事は拒否して自分 だけの世界に入っていたかったが、その少女の言葉を断りきれずにここに居た。

 こうして、彼女の画力の助けになるならば、まあいいかと思っていたのだ。なにもしないのなら、 なにかしたほうが気がまぎれて良いかと、そう思っていた。今の気持ちは最悪なのだが、人の役に 立てると思えば、それも少し軽減されたように俺は感じていたように思う。

「申し遅れました。私、リハ・クレティスと申します。リハでいいです。あなたは?」
「私は、カシス・ノルエードです」

 ふと直前に考えた事の所為で、俺は職務の最中の上官に述べる言葉のように丁寧に発音して自己 紹介をしていた。何をしているんだ俺は。

 その様子を見てどうも可笑しかったらしく、リハという少女は少し抑えて、少し素が入った表情 で、笑った。

「ノルエードさんですね。良い名前です」

 リハはキャンパスを支える為の脚立を調節しながら、本来であれば俺が言うべき社交辞令の言葉 を述べていた。俺はといえば、笑顔に気を取られて瞬間的に意識呆然になっていた。

「そんなに硬くならなくても大丈夫です。落ち着いてそこの席に座って居て下さい。それでは、 描きますよ」

 リハのパレットに書く様子を見つめていると、必然的に目線があってしまい、思わず眼をそらす が、眼をそらさないで下さいというリハの少し怒った様で違うような表情を見て、気にならなくな っていた。

 何の為に画家を目指しているのだろうか。何が切っ掛けだったのだろうか。

 海風が首筋をそっと撫で、続いてリハがそれに答えたように、木炭の欠片を置き、消す役割に位置 するパン屑を落ちないように、そっと掴んだ。

 話ならしてもいいのだろうと思い話しかけて、彼女がそれに応対する。その間で、不思議な感情 が芽生えてきていた。

 話しているとどんどん引き込まれる。先程まで他人であったはずの彼女は、まるで数年間逢って いなかった思い出の人のように俺の眼には映っていた。

 そして俺の口調は自然と軽やかになる。絶望の中、希望の光を探り当てたように、すがるように して話しているようにさえ思えた。それだけ俺の舌はその時、学校の良く話す先生のように動いて いた。

 どれほどの時間が経ったかも判らなくなった頃、リハは立ち上がっていた。

 絵が出来たのだろうか。

 それはその通りだった様で、彼女は俺の知らない程の満面の笑顔を浮かべて、

「出来ました」

 と、一言だけ俺に向かって、語りかけた。


2.


 完成された俺の絵を見る。俺はそれを見て、直ぐに理解できなかった。判らなかった。一体、 これはどういう事なんだろうか。その理由をリハに聞いてみる。

 不思議そうな顔をした後、直ぐに納得したかのように手を合わせて、

「嬉しそうでしたよ、ノルエードさん」

 何を隠そう、真夏の雲のように真っ白なキャンパスの上には少しぼかされた木炭のスケッチ で、俺の笑顔が描かれていた。

 笑った記憶は無かった。だが、リハは俺の笑顔を書いた。それは、俺が嬉しそうだったからと リハは言った。

「私、自分でも気付いてない事を絵によって引き出すって素敵だと思うんです」

 彼女の黒い瞳をまた見つめる。素直な瞳だった。

「だって、そこには私の知らない私の世界が在るわけじゃないですか。自分がこうしたいと思っ て描く、だから知らない世界でも怖く無い世界です。面白い世界なんです。あなたは、自分が 楽しい、嬉しいと気付かなかったんじゃないんですか」

 自分はついでだと思っていた。彼女は本気だった。俺の真剣に見えたであろう表情の下の感情 を読み取っていた。今の状況がその気持ちを否定していたのでは無いだろうか。

 その否定された気持ちの通りであれば、俺はその通り嬉しかったのだ。退屈だとは微塵も思わ なかった。こんな自分でも役に立てる、そう感じて嬉しかった。

 海鳥の声が、遠くから聞こえたような気がした。

「私、だから好きになったんです。自分の知らない面を引き出せる絵というものが。思いのまま に描ける。風景を描いても違う風景になる。だから面白いんですよ」

 俺よりもずっと年が下だっていうのに、リハはしっかりとしていた。今のだらしない俺よりも ずっと。はっきりと目標を持って。目標の無い俺とは正反対の清々しい瞳で。純粋な気持ちで、 それを目指していた。

 そして俺はさっきから気になっていた事があった。勿論それはあの事だった。
 何故、俺を選んだのかという事を聞きたかった。

「私の絵で、元気にさせてあげたらいいな、そう思っただけです」

 真っ白いキャンパスにそのまま描いたような彼女の笑顔がそこにあった。


3.


 自分の知らない面。俺はそれを切り捨ててあっさりと諦めていた。だが、リハは違った。 自分の知らない面をしっかりと探して自分のものにしていた。良い方向に向けていた。 ちゃんと自分の考えを探し出して、それを実行出来ていた。

 俺はどうだろうか。
 使い古された鎧を身に纏い、愛剣を腰に挿した騎士という職業になり、そこを見ていた。

 あれから俺は自分自身のまだ燃えている目標を持った心の可能性に気付いて、こうして復帰を していた。 きっかけは些細な事であったと思う。だがその些細な事が、人生の指針を大きく変えてしまって いた。

 いや、気付いたのじゃないのだろう。きっとそれは、彼女に気付かされたからだ。俺よりも ずっとずっと小さな体を持ちながら、心はずっとずっと広いリハは、今の自分の情けなさを露呈 してくれていた。そして知らず知らずのうちにネガティブな思考になり、弱気になっていたんだと 判った。

 情けないとは思う。他人から見た自分。自分から見た自分。観点が違っている 事位は判るが、やはり自分では気付けない事が絶対にあるんだ。そして他人が気付く事だってある。

 何処でどう変わるか判らない。それを思い知らされていた。そして常に取り巻く環境も変わる ということでもある。少し脱線したならば、それを直す可能性を最後まで必死に捜し求めて、 最後の最後まで貫き通す事が本当の夢であり、目標であり、理想じゃないのか。

 そうして俺は変わった。変われた。あの僅かであったろう出来事で。あの出会いで。

 本当に不思議な事だとは思う。これからは悪い方向でそういう転換が起きるかもしれないが、 歴然としなかった以前の俺に比べれば対抗する力は桁違いに上がったように感じる。

 俺はちゃんと立ち直れたのだろうか。知らない部分を引き出してまた立ち直れたのだろうか。 自分自身を良い方向に向ける事が果たして出来たのだろうか。考えを探し出して、実行出来て いたのだろうか。

 俺は思っていた。自然に。
 彼女とまた逢いたいのだと。そう思いそこを見ていた。

 純粋に逢いたいと思っている。
 また話がしたい。じっと、前方のそこにあるものを見つめる。

 だから俺がこんな格好をしてここに居る。
 だから俺はそれを見つめている。

 今度はお礼を言う為に。『知らない面』を引き出すという素敵な才能を持った彼女に。俺は 逢いに行きたいと思っていた。

「うん。今ならこれの通りなんだって、自信が持てるよ」

 俺はそう独り言を呟いた。呟くほどに自信が満ちていた。今度こそやれるんだと。

 あれから数年。
 有名な展覧会、俺はそこに飾られた俺の笑顔の絵をじっと見ながら、そう呟いた。


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