暗殺者から

 ――想う。奇跡を。起こらないと判っていたとしても。

<< 戻る

暗殺者から



『あなたは、何になりたい?』


 遠い、遠い。昔の記憶。

 それは最も深く刻み込まれた記憶。
 子供から大人へと変わる頃の、鮮明で、歪んだ記憶。
 殺された。俺にとっての大切な人が。

 告白して、ようやく結ばれた想いだったのに、
 目の前で、殺されているのを見た。彼女の家の窓から。

 悲鳴。
 液体の飛び散る音。
 俺が見ていた窓まで、飛んできた鮮血。

 全てを見てしまった。彼女が壁に叩きつけられ、その腹から垂直に長い剣が生えて、 痙攣を起こしていた。変わってしまったその姿を。凝視していた。

 姿を見てしまっていた。
 震えて、体が動かなかった。

 動かなくなった彼女の隣で、漆黒のアサシンが、"俺を見ていた"。

 この世の終わりとも取れるような絶望感と恐怖感。こんな時に、頭は危機回避もせず、目の前に写る 人間が一人減った光景を、そしてそのアサシンの眼をただ見つめていた。

 次に起こったのはアサシンが詠唱を始める姿だった。

 その光が、最後であるかのように語りかけていた。誰でもない自分自身に。

 蝶の羽が握りつぶされる音ですら、感覚が無いのに、血に塗れた窓越しなのに、 聞こえるはずが無いのに、鮮明に聞こえていた。感覚がおかしかった。

 全てが終わった時、俺は途端に焦点の合わなくなってきた光景の中、亡骸の彼女の 名前を呟いていた。何度も、何度も。

 何度も何度も何度も。
 何度も何度も何度も何度も何度も。


1.   -From the assassin-


 何故俺は生きているのだろうか。何故殺されなかったのだろうか。何故助けられなかった のだろうか。そんな考えを無駄であるにも関わらず繰り返していた。

 普段は青い筈である空は、砂によって黄色く染まっていた。俺はモロクに居た。
 砂漠にありながら大きな規模の都市。その外縁部の南門が見える所で、常に、微かに 吹いている風で舞う衣を被せながら、砂の地面に座り、煙草を吸っていた。

 ゆっくりと吐き出された煙は、風によって砂と共に上空へと徐々に四散する。

 突風が吹いた。

 もう一度吐き出した煙は瞬く間にその影響で消え、だが火種は逆にその風で勢いを増して いた。そしてもう一度吹いた風が、今度は煙草自体を吹き飛ばし、 そして不意に身にまとっていた衣が、頭から外れた。

 身に巻いた包帯、大きな肩防具、口の下で巻いていた布の後ろの結び目がたなびき 後頭部に当たる。

 俺はアサシンになっていた。

 最も憎むという感情が生まれて来るべきであるそのカタチに自分がなっていた。そうだ。 本来ならば憎むべきにも関わらず、自分自身がこんな醜い格好をしている。実に皮肉な話だ。

 あんな光景を見てしまったから、自分は何処か壊れてしまったんだろう。 そうに違いない。

 何も感じなくなってしまった手に、自分はカタールを振るい、 縦横無尽に人を殺し続けた。

 そのうち体も、感情も何も感じなくなってしまった。だが、それでも一つだけ残っている モノがあった。それが俺を突き動かしていた。ただ一つの、昔から変わらない気持ち。

 感情が無いというのは、もしかしたら違うのかもしれない。その唯一、一つの気持ちががそう否定して いた。

 でも、

 "感情"ってなんなのだろうか。

 忘れているのだろう。あの日という瞬間から。でも、良いと思った。俺はこれでいいのだと。 思っていた。これで良い。これで良いんだ。

 壊れた人間というものは、こんなものなのだろうか。自分が壊れていると判る。だが、 何も感じなかった。感じる事が出来なかった。

 何も思わない中、ただ一つだけの歯車を動かす。心の中の歯車を。

 俺は立ち上がった。その気持ちを消す為に。

 "復讐"という二文字の気持ちを消す為に。
 彼女の名前を当然であるように呟く。


2.


 モロク砂漠の中央から真南にある、サンダルマン要塞のアサシンギルド 前に立っていた。

 "気付かれた"

 二人のアサシンが、要塞の頂上の門の前で俺を出迎える。血の臭いを全身に纏わせ、 冷たい眼をした男女のアサシン。両腕には俺と同じカタールを装着していた。

 相手から伝わる感情の波動、それは恐怖。少しだけ思い出した、俺には出せない感情。 暗殺術を極めた自分に対しての、恐怖。恐れ。完全に自分が有利だった。

人ではない人のカタチをしたモノに、恐れられる自分。周りに感じる殺気という気配。大勢居る。 そんな時に、俺は、

 何もおかしくはないのに、何故か声を出さずに笑っていた。

 次の時には、間合いを詰め、女の方の頭をカタールで吹き飛ばしていた。視界が一瞬 赤い色に染まった後、 無くなった首を捜すようにして腕が一瞬上に行った後、倒れる。次は背後に向かって一閃。 風の斬る音がした後、男の方は半分になった体を認識する暇も無いまま、息絶える。

 沈黙。
 それも一瞬。

 周囲から数え切れないほどの数のアサシンが姿を表していた。腰を捻り、ベルトの ホールドをカタールの淵で押し出し、開け口が下になった試験管の毒瓶を空中に放り出す。

エンチャント生きる事の――」

 目の前まで暗殺者達が迫ってきている。右のカタールでもう一度試験管を弾くと、体に右方向 の回転を付け、

ポイズン憎しみ

 苦虫を噛み潰すような声だった。同時に半回転し終ったカタールの左刃が試験管に引っかかり、割れ、 毒液が左の刃に付与される。 その刃は人で無い人を切り裂いていく。右の刃も毒液に触れ、勢いのまま、高速の回転斬り をした時には、飛び掛って来た四人は全員、見るも無残に切断箇所を沸騰させて 動かなくなっていた。

 自分の足元から封じられていたかのように、光が溢れ出して来ていた。全身を包んでいた。 境地まで辿り着いた者にしか与えられない力。恐怖の力。畏怖の力。

 そして、アサシンギルド門前で始まった死闘の中、俺はまたあの名前を呟いていた。

 あの時と同じように。

 帰ってこない彼女の名前を。

 "何度も"


3.


 そこには俺が居た。ただそれだけだった。それだけしかなかった。

 自分の周りには折り重なった人だったものが大量に存在していた。それは門の周りに、吹き飛ばされた のか、階段の下の方まで続いていた。

 屍骸に斜めと垂直に刺さっている何本もの武器達がその存在を、高々と砂嵐が晴れた青い空に 示していた。

 武器の山の中、数百人もの消えた人間の山の中、数々の返り血を浴びていた俺一人だけが、 終わると共にあの光が失せていった俺だけが、一番高い所に立っていた。

 何も無い空を、虚ろな眼だと自分で判っていても、見つめていた。

 全てが終わった時に、何も無くなった時に、何が起こるのだろうか。

 その時、脳裏に、微かに残った思い出が再生された。


『お前は、将来何になりたい?』

 昔の俺は、目の前に居るその彼女に聞いていた。

『当然、聖職者様になりたいな』

 らしいと思った。
 そうか、そう返事を返して笑った時、今度は彼女から聞いてきた。

 暖かく、優しい声だった。


『あなたは、何になりたい?』


 その数時間後、彼女は長い剣で刺され壁に張り付いたカタチで死んだ。目の前で。

 彼女は何故、アサシンに暗殺されてしまわなければいけなかったのか、その理由は未だに判らない。 ただ、その頃の、まだ感情があった頃の俺は半壊した感情の中で憎しみを抱いていた。それがあの時から 今までの俺だった。憎まないなんて人間じゃない。憎まなければ、自分の想いが、 意味が無くなってしまうと思っていた。

 でも、それほどまでに想っていた彼女の葬式が執り行われても、周りが皆悲しんで泣いていても、 俺だけが何故か、涙のひとつも流せなかった。

 感情が壊れているから?
 違う。

 じゃあ、何故だ。何故悲しまないんだ。

 実感が沸かないから?
 認めたくないから?

 それはただの虚像のはずだ。そういうものは、本当は自分で判っているものだから。だが、 俺は悲しまなかった。悲しいという感情すら浮かんでこなかった。

 そして俺は、今度は逆の立場に居る。殺す立場に。あの時の漆黒の暗殺者のような。

 俺は彼女を護りたかった。そう昔の俺は思っていた。普通に、一緒に暮らしたかった。そして護れる ような、ナイトみたいな存在になりたかった。なのに、どうして、護るべき"心"というものを捨てて、 俺がこんな事をしているんだ?

 昔?

 昔では無くて今も、そういうことではないのか?

 そう考えた時に、俺は言いようの無い後悔と絶望が襲い掛かってきた。

 たった今生まれた、いや、たった今"取り戻した"感情に恐怖していた。

 そんな、もう、何も残っていない無い筈だ。今の出来事で、俺は復讐を果たし、 それが消えたから何も無くなったのでは無いのか?

 だが、俺は思っていた。思ってしまっていた。
 望んでいた訳じゃない。そう思っていた。
 こんな事は。望んでいなかった。

 動く体を、自分自身に捨てられた心は止める事が 出来なかった。どこかで無意識のうちに、俺は諦めていた。本当に感情は、心は捨てたんだと。

 だが今の俺は、あの時と同じく深く後悔している。嫌悪している。自分に嫌悪している。

 残っていた。

 感情はまだあったんだ。まだあの頃の純粋な心は残っていたんだ。何故、もっと早くに 気付けなかったのだろうか。

 こんなモノになりたくなかった。

 あの時、何故答えなかったのだろう。答えていたら、もしかしたら、僅かの可能性でも、正常な生活 を営んでいたのかもしれない。『殺す』という彼女が消えた行為が、どれだけ馬鹿な事か。彼女は 今の俺をどう思うだろうか。軽蔑どころではない。勿論王国に突き出していただろう。そして、 二度と口を利いてもらえなくなるだろう。

 一体何をしていたんだ、俺は?

 全ては遅かった。脳裏に焼きついた忌々しい記憶、その中の漆黒の暗殺者と自分が重なっていた。 繰り返してしまった。償えない罪を負ってしまった。数々の人を殺した。死闘で人ならざる暗殺者を今 こうして手に掛けた事さえ悲しんでいた。こうして輪廻した出来事は、

 もう変える術も残されていない。

 全てが終わった時には、悲しみしか残らなかった。

「うああああああああああああああ―――――――――――――――――――――!!」

 心の中では無音。それでありながら世界に響くそれを認めた声。
 心から搾り出した残酷な声。久し振りに出した大声は、とてつもなく悲しかった。

 今頃になって悲しんで、泣いているなんて、彼女の想い人として失格だ。
 叫び声が誰も居ない中、木霊した。戻れない所までもうとうの昔に来てしまった。

 そして俺は彼女の名前を呟こうとして、止めた。


<< 戻る
上に戻る▲